旅するペーパーくん

ペーパーくんの癒しとヒラメキの日々

『東京の師匠』との出会い

マサは29才の時、家族を連れて東京に転勤になった。東京ディズニーランドに近いこともあって千葉にマンション住まいをすることになったが、マサにとっては東京都内まで1時間半かかるのは想像していなかった。中央線沿線に会社はあったのだが、電車に乗った時からグツグツ状態でいわゆるラッシュアワーを毎日味わうことになった。この時に全国の各エリアから1人ずつ5名が集められ、マサは企画部という部署になった。そこでの課長は大阪から来た人で、それ以外の男子4人と女子のアルバイト2人は東京の人でマサを入れて7名だったが、企画経験者は3名で少し不安を感じていた。でも大阪から来た課長は、関西弁であったが岐阜出身で今でもある岐阜川原町にある鮎菓子老舗が在所であることから親近感を持つことができた。自分でも絵が描けるアートディレクターだったので、繊細さが勉強になった。主任の肩書きの男性は、大学の先輩でもあることから良くしてくれた。ずいぶんと後からになるが、この人が『東京の師匠』だったと思うようになった。名前は忘れたが、渋い刑事役の映画俳優に似ていてカッコイイ先輩だった。文学部を出ており、話す内容も文学的で、一言ですむ話もいろいろなワードをつなげるテクニックを持っていた。それとは正反対の『沈黙は金』をモットーにしていたマサには、大変手を焼いたようだ。マサは久しぶりの東京での生活に面食らっていた。年下の後輩3人も東京出身で、特に営業経験ある2人は流暢に標準語を話すスピードにも対応できず困っていた。企画の仕事は英語のワードが多く使われ、意味のわからない用語にも戸惑った。一週間まとめてBSで『半分、青い。』を見るとやはり当時を思い出す。女子スズメの立場では東京での社会人生活を、男子リツの立場では東京での大学生活を。スズメの師匠の漫画家の秋風羽織は、どことなく私の『東京の師匠』にロングヘアーではなかったがクリエイティブさが似ていた。