旅するペーパーくん

ペーパーくんの癒しとヒラメキの日々

『海の声』にふれる

マサは、カラオケで歌うことも好きだった。好きな歌は、桐谷健太の『海の声』で確か沖縄出身のBEGINが作っており、三線の楽器の響きに癒されるからだ。沖縄にはこれまで3回行っている。初めての沖縄は中学生の時で、鹿児島まで寝台特急で1日かかって行き、そこから船で丸1日かかって那覇港にたどり着いた。まだ本土復帰されておらず、パスポートを見せてアメリカに入国した。第8次本土沖縄豆記者交歓会の一員として異国の地を訪れたのであった。船に乗るまではウキウキした気分であったが、冬の海が荒れ狂い半分くらいの子供たちは食べたものを戻していた。記念すべき一歩の沖縄の地は、地震でもあったかのようにしばらく揺れていた。冬なのでさすがに泳げなかったが、海の色はいままで見たことのないブルーであった。現地の人の話では、サンゴ礁の影響でコバルトに染まっていることを教えてくれた。そして空も雲ひとつないので、スカイブルーとコバルトブルーが調和して『半分半分、青い』だった。野球部で鍛えたカラダで体力には自信があったが、食欲をなくしてしまい、豚肉料理中心でスタミナつくように気遣いしてくれたホームスティのお母さんだったが、ほとんど食べられず悪い思いをさせてしまっていた。今思うと、これが初めてのホームシックだったらしい、当時はそんな言葉も知らなかった。それはまずいと相談したらしく、タクシードライバーだったお父さんにマサを委ねることになった。クルマで外に連れ出してくれたが、走っても走っても左側は米軍の基地だった。さすがドライバーだけあってアメリカ軍のよく行く店に案内してくれた。回りはアメリカ人ばかりで、ドキドキしたが分厚い牛肉ステーキを食べると、いつの間にかゲンキを取り戻していた。帰りは、ずーと左側は海が続いていて行きとは対照的な光景であった。いいスポットの砂浜にクルマを止めてくれた。桐谷健太の『海の声』ように『オトちゃーん』と叫びたかったが、さすがに恥ずかしくできなかった。